RMSS-note-3.20

†おしゃれだいきらい†

写真、ぺらっ

「落書きで『写真』を表現しようとしている」夢のようなものを見ていました。

夢のようなものというか、ウトウトしていて、その中で「写真を手に持っている、というのを絵で表現するには、どう描けばいいのかな~」と考えていた感じ。

 

浮かんだ構図は、白いふちのある四角い紙を、つまんでいる。というもので。

 

ふむ~ん。と思い浮かべながら、ん!?

と思いました。

 

そういえば白いふちのある写真なんて最近全然見ない。

うほっ

 

そもそも、写真をお店で現像するというのを、久しくしていないわけですが。

 

手元にあるアルバムにも、白いふちのある写真なんて、子どもの頃の写真を嫁入りに持ってきた数枚くらいしかなくて。

 

そういえば、一時期「ふちありと、ふちなしを、写真屋さんで選べた気がする」と思い出しました。

 

でも、大人になってからの写真は全部ふちなしになっている。

ということはいつのまにか、ふちありなしの選択肢はなくなっている?

うむもいわさずふちなし?

 

技術的には、ふちのないのを作るほうが難しそうではある。

昔、学研のふろくで写真を現像したときにそう思ったはず。

で、ふちなしが頼めることを知って、プロだからできるんだな。と思った記憶もほじくりだされてきた。

 

家で専用紙にプリントする写真も、当然のようにふちなしで、まったくあたりまえに思っていた。考えてみたら、あのサイズの紙にふちなしで印刷するというのは結構難しそうなのに、プリンタ君は、やすやすとやってくれる。

 

ということは「写真」を、絵で表現するとき「ふちのある四角い紙」で描いてもダメじゃないか。

どうすれば「この四角い紙は写真を表しているのである」と伝わるのか。

適当に「何か人物とか風景とかがぼんやり描かれた紙」として描くしかないのか。

でも、その絵で伝えたいのが「なんだかわからない写真」「内容はどうでもいい写真」「とにかくただ写真であるよ、というの」だった場合、写っているものを描いてしまうと、表現したいように描けないのではないか。

 

一応「ふちのある四角い紙」で描いても、通じそうではあるけど、もう少し先になったら、ふちのある写真を見たことがない人のほうが多くなるかもしれない。